「櫛梨神社 <香川県琴平町下櫛梨>」の「櫛梨」の語源

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櫛梨神社 <香川県琴平町下櫛梨>」の「櫛梨」の語源を調べてみた。


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 推定 一
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日本の古文書に「ホツマツタヱ」がある。


ホツマツタヱ@Wikipedia
『ホツマツタヱ』は、ヲシテ(神代文字のひとつとされる)を使い五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)で構成された日本の古文書。その成立時期は不詳だが、少なくとも江戸時代中期まで遡ると考えられている。




ほつまつたゑ 解読ガイド(http://gejirin.com/index.html)の「単語索引」で「クシナシ」を検索したところ、
「クシナシ(櫛梨)」は「ツミハとタマクシ姫の第2子」とあり、神の名であることが判った。



「ツミハ」も検索したところ、「ツミハ(積羽 (八重事代主神))」は、コモリの次男、三島大明神で、 
ホオテミの時、弟のタケフツと共にイフキの宮にて四国24県を治め、阿波のアガタ(金刀比羅宮)に葬られている。

なお、ツミハはホオテミの時、弟のタケフツと共にイフキの宮にて四国24県を治めている。

「イフキの宮」は、場所的には「コトシロガヤカタ(事代が館)=阿波宮」と同じである可能性が高い。

どうやら、ツミハは金刀比羅宮で四国24県を治めていたらしい。



ほつまつたゑ 解読ガイド(http://gejirin.com/index.html)より


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ホツマツタヱ・ホツマツタエ・ホツマフミ(http://gejirin.com/src/Ho/hotumatutawe.html


秀真伝。秀真文。
ホツマを伝えるもの。 
景行天皇の命により三輪季聡(オオタタネコ)が編纂。 大田田根子に『秀真伝』を、大鹿島に『三笠文』の編纂を命じた時、景行天皇自らも『橘御機』を編んだという。 これはヤマトタケの遺言による事業だったという。
オオタタネコの先祖である大物主のクシミカタマが1~28文を編み、29~40文をオオタタネコが編む。
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クシナシ(http://gejirin.com/src/Ku/kusinasi.html

櫛梨
ツミハとタマクシ姫の第2子。
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『遂に因みて ミゾクイの タマクシ姫も 孕む故 ワニ 乗り 阿波へ 帰る内 生む子の斎名 ワニヒコは クシミカタマぞ 次の子は 斎名 ナカヒコ クシナシぞ 青垣殿に 住ましむる』
『後にクシナシ 神となる 母に請われて ヲシカ 棄つ  故にツクシの 御幸 請ふ』
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ツミハ(http://gejirin.com/src/Tu/tumiha.html

積羽 (八重事代主神)。 
コモリの次男。 三島大明神。 
ニニキネのオオモノヌシ・コモリのコトシロヌシとなる。 ホオテミの時、弟のタケフツと共にイフキの宮にて四国24県を治める。
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阿波のアガタ(琴平宮)に葬られる。 
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イフキノミヤ・イフキトミヤ【気吹の宮・気吹戸宮】(http://gejirin.com/src/I/ifukinomiya.html

伊予にあるイフキヌシの宮。 =トノミヤ(トツミヤ)。 
イフキヌシの妻のタナコ姫はここでイヨツヒコ・トサツヒコ・ウサツヒコを生む。 
ホホデミの時代、ツミハとタケフツがイフキの宮で二十四県を治める。
場所的には「事代が館=阿波宮」と同じである可能性が高い。

香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮(コトヒラグウ)。

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コトシロガヤカタ(http://gejirin.com/src/Ko/kotosirogayakata.html

事代が館。 
コトシロヌシの館。 コトシロヌシは、ここではツミハ。 =阿波宮。
場所的には「トノミヤ」「イフキトミヤ」と同じである可能性が高い。

香川県仲多度郡琴平町、金刀比羅宮(コトヒラグウ)。

■「コトヒラ」は「コトシロ」の訛ったものと思われる。

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コトヒラグウ(http://gejirin.com/src/Ko/kotohiragu.html

コトヒラグウ
金刀比羅宮。 
香川県仲多度郡琴平町。 
祭神:大物主神(オオナムチの和魂)。  
【三穂津姫社】三穗津姫神。
【睦魂神社】大国魂神、大国主神、少彦名神。
【祓戸神社】瀬織津姫神、速秋津姫神、氣吹戸主神、速佐須良姫神。
【火雷社】火産靈神、奧津比古神、奧津比賣神、八衢比古神、來名戸神、八衢比賣神。
【真須賀神社】建速須佐之男尊、神奇稲田姫尊。
【事知神社】積羽八重事代主神 外。

『玉藻集』(1677)や『讃州府志』(1745)には、「この山の鎮座すでに三千年に向づく」とあるほど、古い。 祭神・大物主神が象頭山に行宮をおき、中国・四国・九州経営を行った。 その行宮跡に大神を奉斎した。 象頭山全体が神体山として信仰されており「お山」と呼ばれる。「お山」とは「御山」で、古代の貴人の墓の事。 当初はコトヒラ(琴平)神社と称す。 金毘羅様は元々ワニの神 とされ、船の守り神。

★『金刀比羅宮御由緒略』大物主大神は天照皇大神の御弟建速盞鳴命の御子に坐して、御母は刺国若姫命と申されます。大神は父命の御意志を承けて、夙に大八州の国土経営に御心をそそがれました。
■間違いなく祭神のオオモノヌシはクシミカタマ(ワニヒコ)である。
■=「あわみや(阿波宮)」「コトシロが館」
■コトヒラはコトシロが訛ったもののようだ。
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 推定 二
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「神話の森」の「詩がたり風土記」の「讃留霊王」によれば、「櫛梨とは酒成(くしなし)の意味で、酒造の祖でもある。」とある。



神話の森>歌語り風土記>讃留霊王
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/47kaga01.htm

讃留霊王
坂出市
 景行天皇の御代に、讃岐の海で大魚が荒れ狂ひ、多くの船を沈めたので、皇子の神櫛(かみくし)王が讃岐国に派遣された。王は、多度津のあたりから櫛梨川(金蔵寺川)をのぼって船を櫛梨(くしなし)山に泊め、船磐(ふないは)大明神をまつって戦捷を祈った。海に戻って首尾良く大魚を退治した後、王は城山(坂出市府中町)に居城を築き、国造に任命された。王は、没後に国府の鎮守の城山神社にまつられ、讃留霊王とも呼ばれた。王の子孫が、讃岐氏、酒部氏である。王はまた櫛梨山に葬られたともいひ、櫛梨神社(仲多度郡琴平町下櫛梨)がある。櫛梨とは酒成(くしなし)の意味で、酒造の祖でもある。


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この記事へのコメント

たかし
2011年09月01日 22:02
おお!櫛梨とは、神の子の名前でしたか。
まさじさん、よく調べあげましたね。
古代のことは、難しくてよく分かりません。

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